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猪谷六合雄 著
雪に生きる
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雪に生きる

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著者紹介

猪谷六合雄

猪谷 六合雄(いがや くにお)

一八九〇年五月五日、赤城山・猪谷旅館の長男として生まれる。
一九一四年にスキーを始め、一九二九年には千島に移住。その後、雪山を求めて赤城山、番所ばんどころ乗鞍のりくら)、土樽つちたる浅虫あさむしと転居し、自らの手で山小屋を作りながらスキー中心の生活を送る。息子・千春をオリンピックメダリストスキーヤーに育て上げたのち、七十一歳で自動車運転免許を取得。「トラベルカー」「ハウスカー」と名付け、車上生活をしながら各地を旅する。日本スキー界の先駆者として知られると同時に、独自の生活哲学を貫いた生き方も多くの共感を呼ぶ。
主な著書に、『雪に生きる』『雪に生きた八十年』『赤城の四季』『私達のスキー』『スキーはパラレルから』『私たちのスキーアルバム』など。一九八六年一月沒(享年九十五)。
左頁の写真は一九四一年頃の著者。

猪谷六合雄 略年譜

※()内の数字はその時の著者の年齢です。

1890年代

  • 1890年(明治23年)

    • 5月

      (0)赤城山に生まれる

  • 1897年(明治30年)

    • 4月

      (6)前橋の小学校へ入る

1900年代

  • 1902年(明治35年)

    • 2月

      (11)スケートをはじめる

  • 1905年(明治38年)

    • 7月

      (15)水絵を描きはじめる

  • 1906年(明治39年)

    • 3月

      (15)館林中学二年中退

  • 1908年(明治41年)

    • 1月

      (17)油絵を描きはじめる

    • 10月

      (18)一坪の部屋を作る

  • 1909年(明治42年)

    • 3月

      (18)飛行機の模型を作る

    • 5月

      (19)1/4立法坪の小屋を作る

1910年代

  • 1910年(明治43年)

    • 1月

      (19)結婚

    • 2月

      (19)丸木舟を彫る

    • 12月

      (20)気球隊入隊

  • 1913年(大正2年)

    • 12月

      (23)気球隊除隊

  • 1914年(大正3年)

    • 1月

      (23)スキーをはじめる

    • 4月

      (23)紙の船を作る

    • 5月

      (24)父の死

    • 8月

      (24)はじめての大島行

    • 10月

      (24)応召、ただし出征準備中に戦い終わる

  • 1915年(大正4年)

    • 5月

      (25)赤城山に志賀直哉氏の小屋を作る

  • 1916年(大正5年)

    • 12月

      (26)母と大島へ行き、泉津で家を借りる

  • 1917年(大正6年)

    • 2月

      (26)小笠原行

  • 1918年(大正7年)

    • 4月

      (27)はじめてスキーの展覧会を見る

    • 9月

      (28)ジャワ島へ行く

1920年代

  • 1920年(大正9年)

    • 4月

      (29)ジャワ島から帰る

    • 6月

      (30)離婚

  • 1921年(大正10年)

    • 9月

      (31)写真をはじめる

  • 1922年(大正11年)

    • 6月

      (32)組み立て小屋を作る

  • 1923年(大正12年)

    • 1月

      (32)母の死

    • 3月

      (32)赤倉行

  • 1924年(大正13年)

    • 2月

      (33)樺太行

  • 1925年(大正14年)

    • 2月

      (34)朝鮮行

    •  

      (34)靴下を編みはじめる

  • 1926年(大正15年)

    • 1月

      (35)サダと再婚

    •  

      (35)スキージャンプをはじめる

    • 8月

      (36)利根川の水源探検

  • 1927年(昭和2 年)

    • 2月

      (36)眼を突く

    •  

      (36)第4シャンツェを作る

    • 6月

      (37)槍、燕行

  • 1928年(昭和3 年)

    • 10月

      (38)阿蘇、雲仙行

    •  

      (38)第5シャンツェを作る

  • 1929年(昭和4 年)

    • 2月

      (38)ジャンプ大会、ヘルセット来る

    • 3月

      (38)大島行

    • 5月

      (39)立山へジャンプスキーを持ち込む

    • 6月

      (39)駒ヶ岳、阿寒、摩周湖の旅

    • 8月

      (39)千島へ渡る

    • 11月

      (39)古丹消に千島第一の小屋を作る

1930年代

  • 1930年(昭和5 年)

    • 6月

      (40)豊原行

  • 1931年(昭和6 年)

    • 5月

      (41)千春生まれる

    • 10月

      (41)セルロイドスキーの試験に白馬へ登る

  • 1933年(昭和8 年)

    • 7月

      (43)千夏生まれる

    • 9月

      (43)佐渡行

  • 1934年(昭和9 年)

    • 4月

      (43)小屋の火事

    • 7月

      (44)滝の下の小屋を作る

    • 12月

      (44)丸山と膝の奇蹟

  • 1935年(昭和10 年)

    • 9月

      (45)千島を去る

    • 10月

      (45)再び赤城山に小屋を作る

    •  

      (45)千夏の死

  • 1936年(昭和11 年)

    • 1月

      (45)鹿沢、熊の湯、発哺、霧ヶ峰、菅平、乗鞍、立山、谷川などスキー場回り

    • 7月

      (46)赤城山に友人・関口泰氏の小屋を作る

    • 8月

      (46)スカール、ファルトの練習

    • 12月

      (46)鹿沢、万座、伊吹、白馬、立山などスキー撮影行

      赤城山新坂平での放牧(1936年)
      赤城山新坂平での放牧(1936年)
  • 1938年(昭和13 年)

    • 2月

      (47)湯沢のスキー競技会で千春が「提灯競争」の参加

    • 3月

      (47)乗鞍、立山と引っ越し先をさがす

    • 4月

      (47)千春小学校へ入学

    • 12月

      (48)番所へ越す

  • 1939年(昭和14 年)

    • 3月

      (48)鈴蘭の競技会にはじめて出場する

    • 6月

      (49)野麦行

    • 7月

      (49)番所に小屋を作る

      千春のゲレンデ・シュプリング(1939年)
      千春のゲレンデ・シュプリング(1939年)

1940年代

  • 1940年(昭和15 年)

    • 6月

      (50)野麦、岐阜行

    • 7月

      (50)人夫を集めてゲレンデの手入れをする

  • 1941年(昭和16 年)

    • 1月

      (50)大町行

    • 4月

      (50)新コースを登り、はじめて本谷を下る

  • 1943年(昭和18 年)

    • 1月

      (52)日光行

    • 3月

      (52)湯沢、赤倉、北海道行

    • 8月

      (53)土樽へ越す

    • 11月

      (53)浅虫へ越す

    •  

      (53)『雪に生きる』出版

      映画撮影にも挑んだ六合雄(1943年)
      映画撮影にも挑んだ六合雄(1943年)
  • 1944年(昭和19 年)

    • 10月

      (54)『赤城の四季』出版

  • 1945年(昭和20 年)

    • 4月

      (55)要目へ越す

    • 8月

      (56)大湊、袰月行

  • 1946年(昭和21 年)

    • 1月

      (56)三度目の赤城山へ

    • 2月

      (56)スラロームバーンの開拓

  • 1947年(昭和22 年)

    • 2月

      (57)水上、草津、日光、野沢、北海道など競技行脚

  • 1948年(昭和23 年)

    • 2月

      (58)水上、長岡、草津、野沢、細野、大山など競技行脚

    • 10月

      (59)志賀高原へ越す

    • 12月

      (59)『私たちのスキー』出版

  • 1949年(昭和24 年)

    • 2月

      (59)野沢、札幌、日光、草津、米沢、乗鞍、涸沢など

1950年代

  • 1950年(昭和25 年)

    • 1月

      (60)皇太子殿下スキーご練習、熊の湯行

  • 1951年(昭和26 年)

    • 1月

      (61)殿下のスキー、鹿沢、蔵王行

    • 11月

      (62)コーネリアス・バンダー・スター氏に逢う

  • 1952年(昭和27 年)

    • 2月

      (62)殿下のスキー、尾瀬行

    •  

      (62)千春、オスロ冬季オリンピックに出場

    • 12月

      (63)『私たちのスキーアルバム』出版

  • 1953年(昭和28 年)

    • 2月

      (63)千春とアメリカへ行く

    • 5月

      (64)千春を残して日本に帰る

    • 11月

      (64)スキー科学研究会を発足

  • 1954年(昭和29 年)

    • 2月

      (64)スキーモルモットのテストをはじめる

  • 1955年(昭和30 年)

    • 3月

      (65)リフト研究会を発足

    • 7月

      (66)夏スキー、鳥海山、尾瀬など

  • 1956年(昭和31 年)

    • 2月

      (66)千春、コルチナ・ダンペッツォ冬季オリンピックに出場して銀メダル獲得

    • 4月

      (66)尾瀬、八甲田など

  • 1957年(昭和32 年)

    • 5月

      (67)妻とアメリカからヨーロッパへ

    • 12月

      (67)渡辺氏初心者の指導法研究に参加、八甲田、涸沢など

  • 1958年(昭和33 年)

    • 2月

      (67)千春、バドガスタインFISに出場

    • 12月

      (68)『スキーはパラレルから』出版

  • 1959年(昭和34 年)

    • 4月

      (68)薮原、八甲田、西吾妻、金沢、涸沢など

1960年代

  • 1960年(昭和35 年)

    • 2月

      (69)千春、スコーバレー冬季オリンピックに出場

    • 3月

      (69)六呂師、尾瀬、涸沢、立山など

    • 8月

      (70)自動車学校へ行く

  • 1961年(昭和36 年)

    • 1月

      (70)高峰でスキー学校を開く

    • 3月

      (70)リングバーのテスト

    • 10月

      (71)自動車運転免許をとる

  • 1962年(昭和37 年)

    • 2月

      (71)石の湯、尾瀬、針ノ木、涸沢など

  • 1963年(昭和38 年)

    • 1月

      (72)石の湯でスキー学校

    • 4月

      (72)先生たちを連れて九州へ

    • 7月

      (73)エルフを買い、トラベルカー1号を作る

    • 8月

      (73)レルヒの息女・ホーリヤ氏に逢う

  • 1964年(昭和39 年)

    • 1月

      (73)菅平でスキー学校、鳥海、乗鞍

    • 9月

      (74)浪江で自動車事故

    • 11月

      (74)フォルクスワーゲンを買いハウスカー2号を作る

  • 1965年(昭和40 年)

    • 5月

      (75)北海道、流葉、九州行

    • 8月

      (75)両腕の尺骨神経移植手術

  • 1966年(昭和41 年)

    • 1月

      (75)車山でスキー学校、簗場、針ノ木、北海道など

  • 1967年(昭和42 年)

    • 1月

      (76)車山、戸隠でスキー学校

    • 2月

      (76)美智子妃殿下苗場でスキーをはじめられる

    • 5月

      (77)東京へ越す

    • 12月

      (77)『初心者からのパラレルスキー』出版

  • 1968年(昭和43 年)

    • 1月

      (77)大松山でスキー学校

    • 3月

      (77)浩宮様苗場でスキーをはじめられる

    • 5月

      (78)新フォルクスワーゲンでハウスカー3号を作る

  • 1969年(昭和44 年)

    • 1月

      (78)スキー学校を戸隠へ移す

    • 3月

      (78)殿下のスキーご一行蔵王へ

    • 8月

      (79)イタリア行

    • 11月

      (79)飯豊山行

1970年代

  • 1970年(昭和45 年)

    • 1月

      (79)戸隠、中吾妻、八甲田、涸沢など

  • 1971年(昭和46 年)

    • 3月

      (80)礼宮様苗場でスキーをはじめられる

    • 5月

      (81)八甲田、十三湖行

    • 9月

      (81)蚊を取って事故を起す

  • 1972年(昭和47 年)

    • 3月

      (81)浩宮様戸隠スキー学校へ入校される

    • 5月

      (82)駒ヶ岳の春山にはいる

    • 6月

      (82)涸沢の夏スキー行

1980年代

  • 1986年(昭和61 年)

    • 1月

      (95)永眠

たくさんのコメントをいただいています!

野山で自由になるための術を自ら編みだし、生き抜くための知恵を身に付けた猪谷六合雄は、本来の意味における<芸術家>である、とぼくは思っている。
小屋の跡を訪ねて何度も赤城山へ、そしてサハリンにも行った。思い入れのある本の新装復刊はとてもうれしい。

石川直樹さん(写真家)
坂口恭平さん(作家・画家・音楽家・建築家など)

この本を開くと何処へでも行けるような何でもできるような気がしてくる。
その錯覚を携え動いてみたら何かが変わるかもしれない。
やる前から怖がる必要なんてないのだ。
さて順風満帆ではない日々の中、今日は何に生きよう。

宮地眞理子さん(女優・TBS「日立世界ふしぎ発見!」ミステリーハンター)

自ら設計した家や三本脚のテーブル、湧き水の水洗トイレ、薪ストーブ、そのどれもに僕らが忘れた知恵と生活の愉しみがあふれている。

牧野伊三夫さん(画家)

オリジナルで、難しく、深めたら楽しい。「猪谷さんの靴下」は、暮らしや人生そのものだ。

北川史織さん(「暮しの手帖」編集長)

頁を繰る手が止まらない。この身体の動かし方、大胆にして緻密に編み込まれた思考を真似したい。飛ぼう!

細馬宏通さん(人間行動学)

猪谷六合雄の生き方から、困ったとき朗らかに生きるための実学をわたしは学んだ。

扉野良人さん(僧侶・アマチュア出版人)

とにかく晴れやかで、気持ちのいい文章に、生きる力が湧いてくる。

辻山良雄さん(書店「Title」店主)

この世界と全力で戯れることが“生きる”ってことなんだ!

ミロコマチコさん(画家・絵本作家)

お知らせ

  • 2022.03.30
    【新聞】

    日本経済新聞夕刊「プロムナード」にて細馬宏通さんの書評が掲載されました。

  • 2022.03.05
    【新聞】

    信濃毎日新聞読書面にて紹介されました。

  • 2022.02.15
    【新聞】

    上毛新聞文化面にて紹介されました。

  • 2022.02.10
    【雑誌】

    文藝春秋3月特別号の「今月買った本」にて本上まなみさんの書評が掲載されました。

  • 2022.02.06
    【新聞】

    上毛新聞三山春秋にて紹介されました。

  • 2022.01.15
    【雑誌】

    山と渓谷 No.1046(2022年2月号)にて紹介されました。

  • 2021.12.02
    【新聞】

    新文化にて紹介されました。

  • 2021.11.25
    【雑誌】

    暮しの手帖 第5世紀15号(2021年12月-2022年1月号)にて「猪谷さんの靴下」が紹介されました。

新版 雪に生きる

新版 雪に生きる

猪谷 六合雄(著)
発行:カノア